普仙寺の歴史

元は天台宗であったのを、天文7年(1538)に

円誉眷惣和尚が再興して浄土宗に改めて開山。

徳川家定紋「三ツ葵」の一つの「一ツ葵」を

当時の寺紋とすることが許されていました。

 

境内の十王堂では、文化年間(1800 ~ 1810)から歴代住職により寺子屋が開かれており、明治6年からは公立牟呂小学校の最初の校舎として使用されるなど、牟呂地蔵の教育・文化の拠点ともなっていました。

この十王堂を含め、墓地・山門・庫裡・水屋等の境内諸堂の大改修や、檀信徒会館の整備が、平成に入ってからの 牟呂土地区画整理事業に伴い行われました。この大事業は平成 3 年から平成 14 年の約 10 年間にも及びました。

 

本堂左脇にある一玉直径 3cm・長さ 20m にも及ぶ百万遍数珠は、旧庫裡の大黒柱で作成され、この数珠が完成した平成 9 年より十夜法要で、百万遍数珠繰りが行われるようになりました。

現在は、豊橋西部のお念仏の中心として、毎月 8 日には、夜 7 時より年回忌の祥月にあたる方のご回向をする「月並法要」毎週土曜日の朝 8 時 30 分から 9 時には一般の方でも自由にお参りできる「土曜礼拝」、詠唱講や団参旅行など一般の教化に力を注ぐとともに、布教師会の実演や念仏行脚などにも取り組み、幅広くお念仏の教えを実践し、教化活動に取り組んでいます。

月遅れで5月8日に行われる「花まつり」では、隣接する明照保育園のかわいい園児さんたちが、毎年お参りし、お釈迦様に甘茶をかけに訪れます。

また、総代会・華頂婦人会などで、檀信徒の方々の輪番制にし、寺院だより・華頂を配布して頂くなど、積極的に寺院活動に関わって下さるように取り組んでいます。


普仙寺のほとけさま

 

本堂正面には慈覚大師作と伝えられる阿弥陀仏三尊立像。

本堂内陣奥には善導大師・法然上人像安置。

本堂左脇檀中央には、金色の宮殿に善光寺如来。

その右側の厨子に馬頭観音。左側の宮殿には弁財天が安置。

本堂西側の張り出したお堂の中には、地蔵菩薩を中央に、地蔵尊外十王木像を安置。

お堂の北側には弘法大師・天神様・秋葉山三尺坊天狗が祀られています。

 

住職・加藤良光


住職を含め、講員数は 29 名で、寺の年中行事や

三河大会・東海大会・全国大会等、積極的に且つ

幅広く活動をおこなっています。


 

毎年 8 月 16 日には、近くに流れる柳生やぎゅう川で「精霊(灯篭)流し」が行われています。

参加者は約 50 名で、流される灯篭は 30 程度。それぞれの家族のご先祖様に対する気持ちを灯篭に込めて、静かに送る、心のこもった行事になっており、地域の風物詩ともなっています。

灯籠の完全回収が行えるよう、全ての灯篭を紐につけ、船で曳いていく方法で行われています。

また、普仙寺の灯篭流しは学研『日本の年中行事』にも取り上げられています。