開 宗 和 讃 解 説

①歌詞

1 (じょう)(あん)()(ねん) (はる)弥生(やよい) ()()(おん)(とし) ()(じゅう)(さん)

()()(すく)の ()をのべて (ひら)(たま)いし (じょう)()(もん)

(せっ)(しゅ)()(しゃ)の (ひかり)を (あお)ぎて(はっ)(ぴゃく) ()(じゅう)(ねん)

この(よろこ)びを ことほぎを (おも)いあらたに (ほう)(しゃ)せん

()()()()()() ()()()()()()

()()()()()() ()()()()()()

2 ()()のわが()を (ぼん)(のう)を (きよ)(たま)えと (よし)(みず)

(なが)れに()を (とな)うれば (とうと)(おし)え ありがたき

(こう)(みょう)(へん)(じょう) (つき)(かげ)の ながむる(ひと)に すみわたる

この(よろこ)びを 宿(しゅく)(えん)を (おも)いあらたに (ほう)(しゃ)せん

()()()()()() ()()()()()()

()()()()()() ()()()()()()

3 ()()のお遺訓(さとし) たのもしや ()らば()(ぶつ)の (こう)つもり

()なば(じょう)()に まいりなん とてもかくて この()には

(おも)いわずらう ことぞなき この()このまま (すく)わるる

この(よろこ)びを (おん)(どく)を (おも)いあらたに (ほう)(しゃ)せん

()()()()()() ()()()()()()

()()()()()() ()()()()()()

②題名

「開宗」とは一つの宗派を開くこと。浄土宗においては、法然上人が善導大師の『観無量寿経疏』の「一心専念の文」に出合い専修念仏一行に帰した(じょう)(あん)五年(1175)を以て開宗とします。「浄土宗開宗」に因む和讃ですので、「開宗和讃」と呼びます。

③作詞者

(なり)()(きょう)(じゅん) 明治42年(1919)~平成7年(1995)。青森教区(こう)(なん)組攝取院の第23世。「彼岸和讃」「追善供養和讃」の作詞者。

④作曲者

(まつ)(なみ) (もとい) (まつ)(なみ)()(どう)) 大正2年(1913)~平成31年(2019)。茨城県出身。大正大学卒。岐阜教区(たか)()組圓心寺の第19世。東海中学・高校(名古屋市東区)に奉職し、校長や東海学園資料館館長などを歴任。昭和21年(1946)浄土宗教学部長吉水智承師の先導のもと、鈴木錦承師とともに吉水流詠唱を創始され、以来、浄土宗吉水流詠唱の作詞、作曲や指導をされる。浄土宗芸術家協会副会長、児童教化連盟理事長、浄土宗詠唱委員会委員長、浄土宗詠唱教導職、総本山知恩院吉水講顧問を務められる。松濤基は作曲家としてのペンネーム。「開宗和讃」は昭和46年新曲発表されました。

⑤全体の解説

浄土宗の追善供養は、念仏をはじめ、さまざまの供養功徳を死者に回向して追善することです。この「追善供養和讃」は追善供養の法要において、参列した縁ある人々が死者を懐かしみ、供養の功徳を回向し、そして現世の努めを思い、明るい社会を願う歌詞になっています。歌詞の意味をかみしめてお唱えしましょう。

⑥語句の解説
1番

 (じょう)(あん)()(ねん) / 西暦1175年。時の帝は高倉天皇15歳。院政を行う後白河法皇49歳。太政大臣は平清盛58歳。関白は(まつ)殿(どの)(もと)(ふさ)32歳。右大臣は()(じょう)(かね)(ざね)27歳。松殿基房は九条兼実の兄。

 弥生(やよい) / 旧暦三月の異名。「弥」は「いよいよ」、「生」は「生い茂る」ことの意味。()()一宗派を開いた高僧。宗祖。ここでは法然上人。

 ()() / 阿弥陀仏のこと。

 ()をのべて / 届くように手を差し延ばして。

 (ひら)(たま)いし / 動詞「開き」の連用形「開き」に、補助動詞「たまい」の連用形「たまい」と回想の助動詞「き」の連体形「し」がついて、「お開きになられました」という意味。

 (じょう)()(もん) / 仏教の法門、教えを大きく分けて、聖道門と浄土門の二門といううちのひとつ。浄土門は念仏を称えて浄土に往生する法門、教えのこと。ここでは、法然上人が浄土宗をお開きになられたことを指します。

 (せっ)(しゅ)()(しゃ) / 『観無量寿経』(しん)(じん)(がん)(もん)の一節の言葉。阿弥陀仏が念仏する衆生を救い取り、見捨てないこと。

 (ひかり) / 阿弥陀仏の大慈悲の光明。

 ことほぎ / 「言祝ぎ」と書きます。言葉で祝うこと。喜びの言葉を述べること。

 (ほう)(しゃ) / 恩に感謝し報恩の誠を尽くすこと。ここでは法然上人が浄土宗をお開きになり、私達に念仏の教えをお説き下さったことに対して報恩感謝すること。

 ()()()()()() / 「南無」は「お願いします」。「阿弥陀仏」は仏様のお名前。「どうか阿弥陀様、お救い下さい、お願いします」という意味。

2番

 ()() / 仏教の教えを知らず道理やものごとを如実に知見することができないこと。煩悩のひとつ。

 (ぼん)(のう) / 衆生の心身を煩わせ悩ますいっさいの欲望。

 (よし)(みず) / 「吉水」とは京都東山の地名で法然上人がお住まいされたところ。そのことから、法然上人のことを「吉水上人」と尊称します。

 (なが) / 広まり伝わることから、流派を意味します。

 (よし)(みず)(なが) / 比喩表現。ここでは法然上人の教えの流派、つまり浄土宗のこと。

 (なが)れに()(とな)うれば / 浄土宗の教えにしたがい阿弥陀様のみ名を称えているので。「称うれば」は、動詞「称え」の已然形「称うれ」に接続助詞「ば」が付き、「称えているので」という意味になります。

 ありがたき / 形容詞「ありがたし」の連用形。尊い。たかじけない。

 (こう)(みょう)(へん)(じょう) / 『観無量寿経』(しん)(じん)(がん)(もん)の一節の言葉。「光明徧照十方世界」の前半部分。阿弥陀仏の光明が十方世界をあまねく照らすこと。

 (つき)(かげ)の / ながむる(ひと)にすみわたる 法然上人がお詠みになられた「月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の心にすむ」に基づく歌詞。「すみわたる」は一面に澄むこと。「すむ」を「澄む」に受け取った場合の表現。

 宿縁(しゅくえん) / 前世からの因縁。

3番

 ()遺訓(さとし) / 「遺訓」は故人の残した教えのこと。「さとし」とは「諭し」のこと。よく言い聞かせること。ここでは法然上人の『一枚起請文』のこと。

 たのもしや / 形容詞「たのもし」の終止形「たのもし」に間投助詞「や」が付き、「頼もしい、頼りになりますね」という意味。

 (おん)(どく) / 厚いめぐみ。深いなさけ。恩恵。


(以上・文責・加藤良光・令和2119日更新)