御 忌 和 讃 解 説

①歌詞

1  (じょう)(あん)()(ねん) (はる)なかば

(みやこ)(はな)に さきがけて

(じょく)()(すく)う (こえ)あらた

(せん)(じゅ)(もん)(ひら)かれぬ

 

2  (かみ)(くも)()の (たか)(どの)

(しも)(ひな)()の (とま)()まで

(なが)れあふれて (よし)(みず)

(れき)()(きよ) (はっ)(ぴゃく)(ねん)

 

3  ()()(みかど)も (ぎょ)(かん)あり

(おくり)()(はち)(たび) くだされて

(ちょく)()(きま)る (ぎょ)()(にわ)

(ねん)(ぶつ)(こえ) いや(たか)

 

4  ()(ちょう)(みね)は (まつ)(あお)

()(おん)(おし)え ()()(わか)

(ひじり)(ほう)(ねん) たたえつつ

(おが)(いのち)の やけさよ

 

②題名

(ぎょ)()」とは、元来、天皇や貴人の忌日に行われる法要を言いましたが、(だい)(えい)4年(1524()(かしわ)(ばら)天皇が知恩院第二十五世(ちょう)()(ぞん)(ぎゅう)上人に、「知恩院は、浄土宗の根本道場であり、祖師入滅の霊跡であるから、毎年七日間法然上人御忌を勤めよ」という「(だい)(えい)(ほう)(しょう)」を出したことから、以来、法然上人の忌日法要を「御忌」と呼ぶようになりました。法然上人の「御忌」を讃える和讃ですので、「御忌和讃」と呼びます。

③作詞者

(たか)()ときを大正31914)~昭和63年(1988)。本名宝田正道。仏教学者。作詞家。著書には『なるほどザ・仏教語』『法然上人とその余光』『浄土宗吉水流和讃解説書』など。吉水流詠唱の『霊まつり和讃』『二河白道和讃』『涅槃和讃』『酉誉上人鑽仰和讃』『増上寺和讃』『勢観上人鑽仰和讃』『百万遍大念珠繰り和讃』『金光上人鑽仰和讃』を作詞されました。

④作曲者

(まつ)(なみ) (もとい)(まつ)(なみ)()(どう)) 大正2年(1913)~平成31年(2019)。茨城県出身。大正大学卒。岐阜教区(たか)()組圓心寺の第19世。東海中学・高校(名古屋市東区)に奉職し、校長や東海学園資料館館長などを歴任。昭和21年(1946)浄土宗教学部長吉水智承師の先導のもと、鈴木錦承師とともに吉水流詠唱を創始され、以来、浄土宗吉水流詠唱の作詞、作曲や指導をされる。浄土宗芸術家協会副会長、児童教化連盟理事長、浄土宗詠唱委員会委員長、浄土宗詠唱教導職、総本山知恩院吉水講顧問を務められる。松濤基は作曲家としてのペンネーム。「御忌和讃」は昭和22年(194732日に作曲されました。

⑤全体の解説

法然上人は、浄土宗を開かれ、多くの人々に念仏を説かれました。法然上人の忌日法要である「御忌」のいわれや大師号のことを歌詞に載せて、法然上人をお讃えしています。

⑥語句の解説
1番

(じょう)(あん)()(ねん) (はる)なかば / 承安5年(1175)年の春、法然上人は、善導大師の書物により()(ぎょう)()てて(せん)(じゅ)念仏に帰依しました。浄土宗ではこの年を開宗の年としています。

 (みやこ)(はな) さきがけて / 都の花が咲くことよりも先に。

 (じょく)()/ 「()(じょく)(あく)()」の意味。濁り汚れた世。末世。

 (じょく)()(すく)う (こえ)あらた / 濁り汚れた世を救う新しい声、念仏の声が上がっています、という意味。

 (せん)(じゅ) / 「専修念仏」の意味。専ら阿弥陀仏に対する念仏の行を修すること。

 (せん)(じゅ)(もん)は / 専修の門とは、ここでは、法然上人のお説きになられた念仏の教えである、浄土宗のことを指します。

 (ひら)かれぬ / 動詞「開く」の未然形「開か」に尊敬の助動詞「る」の連用形「れ」と完了の助動詞「ぬ」の終止形「ぬ」がつき、「開かれました」の意味。

2番

 (くも)() / 空。はるかに遠い所。雲。宮中。ここでは、宮中を指します。

 (たか)(どの) / 「樓」は旧字。常用漢字では「楼」と書きます。「高楼」は本来、「こうろう」と読みます。「たかどの」を漢字に直せば「高殿」になります。ここでは「高楼」と書いて「たかどの」とかなをふっています。意味は、高く造った建物、御殿のこと。

 (くも)()(たか)(どの) / 宮中の御殿。高貴な方の住居。朝廷や貴族社会を指します。

 (ひな)() / ひなのあたり。いなかの地方。都から離れた所。

 (とま)() / 苫葺きの小屋。水辺の粗末な家。苫とは菅・茅などで編み、小屋・小船などの上や小屋の周囲にかぶせて風雨をふせぐもの。

 (ひな)()(とま)() / 都を離れた草深い田舎、転じてそこに住む人々を指します。

 (よし)(みず) / 法然上人の草庵のあった東山のほとりの湧水から転じて念仏の教えの本拠、あるいは法然上人住居の代名詞などとして使われます。ここでは法然上人の教えのこと。

 (れき)()(きよ)(はっ)(ぴゃく)(ねん) / 昭和49年(1974)は浄土宗開宗八百年の行事が多く開催されした。

3番

 ()()(みかど) / 歴代の天皇。

 (ぎょ)(かん) / 天皇が感心なさること。おほめになること。

 (おくり)() / 「賜」は、目上の人が目下の者に物を与えること。「賜名」は「しめい」と読み、名を(たま)うことであり、通常では「おくりな」とは読みません。「おくりな」は漢字では「諡」「贈り名」と書きます。ここでは「賜名」と書いて「おくりな」とかなをふっています。「おくりな」の意味は、生前の徳をほめたたえて死後に贈る称号のこと。

 (はち)(たび)くだされて / 法然上人には、大師号が八度()()されています。

 一度目 / 円(えん)(こう)大師 486回忌 (げん)(ろく)10年(1697(ひがし)(やま)天皇

 二度目 / 東(とう)(ぜん)大師 500回忌 (ほう)(えい)8年(1711(なか)()(かど)天皇

 三度目 / 慧()(じょう)大師 550回忌 (ほう)(れき)11年(1761(もも)(ぞの)天皇

 四度目 / 弘(こう)(かく)大師 600回忌 (ぶん)()8年(1811(こう)(かく)天皇

 五度目 / 慈()(きょう)大師 650回忌 (まん)(えん)2年(1861(こう)(めい)天皇

 六度目 / 明(めい)(しょう)大師 700回忌 明治44年(1911)明治天皇

 七度目 / 和()(じゅん)大師 750回忌 昭和36年(1961)昭和天皇

 八度目 / 法(ほう)()大師 800回忌 平成23年(2011)上皇陛下

 (ちょく)() / 勅命、すなわち天皇の命令により、宮中または諸寺で修する法会のこと。

 (ぎょ)() / 元来、天皇や貴人の忌日に行われる法要を言いましたが、(だい)(えい)4年(1524()(かしわ)(ばら)天皇が知恩院第二十五世(ちょう)()(ぞん)(ぎゅう)上人に、「知恩院は、浄土宗の根本道場であり、祖師入滅の霊跡であるから、毎年七日間法然上人御忌を勤めよ」という「(だい)(えい)(ほう)(しょう)」を出したことから、以来、法然上人の忌日法要を「御忌」と呼びます。

 (にわ) / 神事・狩猟・漁業・農業などの作業を行う所。ここでは法要が行われる所。

 (ねん)(ぶつ) / 仏様、特に阿弥陀仏の()()をお称えすること。

 いや(たか) / 「いや」は、「いよいよ」「ますます」の意味。「高し」は、ここでは「声が大きい」の意味。

4番

 ()(ちょう)(みね) / 「()(ちょう)(ざん)」のこと。東山三十六峰のひとつ。知恩院の背後にある山。山頂には(しょう)(ぐん)(づか)があります。また知恩院の山号でもあります。

 ()(おん) / 久しく続いてきわまりないこと。永遠のこと。

 (ひじり) / 神秘な霊力を持つ人。もと天皇の意味。のち仙人・仏の行者という語になり、高徳の僧の意味になりました。ここでは高徳の僧の意味。

 (おが)む 動詞「おがむ」の連用形。神仏を礼拝すること。

 (いのち) / 生命、寿命、一生、生涯、運命、死期。ここでは生涯の意味。

 やすけさ / 形容詞「やすけし」の語幹「やすけ」に状態・程度を表す接尾辞「さ」がついて、「やすらかなこと」を意味します。古文には無い言葉。現代国語になって使われるようになりました。


(以上・文責・加藤良光・令和2年11月9日更新)