開 宗 和 讃 解 説
1 承安五年の 春弥生 祖師は御齢 四十三
弥陀の救いの 手をのべて 開き給いし 浄土門
摂取不捨の み光を 仰ぎて八百 五十年
この喜びを ことほぎを 思いあらたに 報謝せん
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
2 愚痴のわが身を 煩悩を 浄め給えと 吉水の
流れにみ名を 称うれば 尊き教え ありがたき
光明徧照 月影の ながむる人に すみわたる
この喜びを 宿縁を 思いあらたに 報謝せん
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
3 祖師のお遺訓 たのもしや 生けらば念仏の 功つもり
死なば浄土に まいりなん とてもかくても この身には
思いわずらう ことぞなき この身このまま 救わるる
この喜びを 恩徳を 思いあらたに 報謝せん
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏
「開宗」とは一つの宗派を開くこと。浄土宗においては、法然上人が善導大師の『観無量寿経疏』の「一心専念の文」に出合い専修念仏一行に帰した承安五年(1175)を以て開宗とします。「浄土宗開宗」に因む和讃ですので、「開宗和讃」と呼びます。
松
浄土宗の追善供養は、念仏をはじめ、さまざまの供養功徳を死者に回向して追善することです。この「追善供養和讃」は追善供養の法要において、参列した縁ある人々が死者を懐かしみ、供養の功徳を回向し、そして現世の努めを思い、明るい社会を願う歌詞になっています。歌詞の意味をかみしめてお唱えしましょう。
承
弥生
弥
手
開
浄
摂
み光
ことほぎ / 「言祝ぎ」と書きます。言葉で祝うこと。喜びの言葉を述べること。
報
南
愚
煩
吉
流
吉
流
ありがたき / 形容詞「ありがたし」の連用形。尊い。たかじけない。
光
月
宿縁
お
たのもしや / 形容詞「たのもし」の終止形「たのもし」に間投助詞「や」が付き、「頼もしい、頼りになりますね」という意味。
恩
(以上・文責・加藤良光・令和2年11月9日更新)