椎尾辨匡師著『國體と佛教』について

平成17年度浄土宗総合学術大会/平成17年9月6日於大正大学 加藤良光

 本稿は、昭和16年11月に出版された椎尾辨匡師著『國體と佛教』(以下本書)について、検討するものである。 本書について以下の項目を設け、見ていくこととする。

本書を引用する論文

本書は市川白弦氏の『日本ファシズム下の宗教』の「仏教における戦争体験・1941年」に本書の文章10ヶ所が引用されている。(資料1)

また、安食文雄氏の「近代浄土宗の戦争責任と戦時教学問題」(福島寛隆編『日本思想史における国家と宗教』下巻に所収)に3ヶ所引用されている。(資料2)

本書出版の経緯

本書出版の経緯は、大溪贇雄(おおたによしお)氏の「本書の上梓について」(資料3)には「佛教が外来宗教成るが故に日本精神に反し、國體にも逆ふかの如き言論が横行せんとしつゝある」ので、椎尾博士に委嘱し講座を開催した。

そして講座の案内文では、


今日我國は國防国家態勢確率のため、一路邁進すると共に東亞の共榮圏を確保すべく一億の總力をあげて努力しつゝある。(中略)ともすれば佛教を排撃し、之を無視せんとするかの如き底流が渦巻きつゝあることは遺憾に堪へない。

佛教は果たして我が國體と相容れざるや?

佛教は果たして一億一心を亂すものなりや?

佛教は皇國の使命に一致せざるものなりや?

(中略)此際此時、われらは眞に教界の實状を反省すると共に、舊殻を脱して挺身以て大政翼贊の實踐に奉公しなければならない。われらは茲に「國體と佛教」について椎尾辨匡博士からその蘊蓄を傾けての講述をきゝ今日の時局に對する活眼を開きたいと思ふ。希くば、同憂の諸君 奮って參聴せられて、國體佛教の眞精神を把握せられると共に世局に對する確固たる信念を固めて戴きたいと思ふ。」と。この案内文に続き、「然るに聴講者を百名と限定したため、その講筵に漏れた人々から、是非その講述を上梓して欲しいとの要望が頗り(ママ)にあるので、(中略)椎尾師の校閲を經て刊行することゝなつた次第である。


とある。

この文を記した大溪贇雄氏は名古屋市昭和区緑町の財団法人桜花女子学園理事長であり(資料4)、愛知県幡豆郡吉良町の真宗大谷派願専寺の住職であった。

椎尾辨匡師はこの学園が昭和14年に併設した名古屋商業実践女学校の校長に就任している。2人は僧侶として、教育者として深い関係であった。

昭和16年5月1、2日の2日間、講演は行われ、8月、椎尾師の自序を得て、11月5日に名古屋市中区の東文堂書店より発行された。(資料5)

本書の広告文

昭和17年3月20日櫻花學園出版部発行の大溪贇雄氏著『省みつつ往く』(資料6)に掲載された本書の広告文は


一億同胞の精神的結束の緊要なること今日より甚だしきはない。然るに先般中央協力會議に於て、廃佛毀釋的言論が現はれたことは國民思想上誠に遺憾千萬である。本書は佛教の國體性を説きて餘す所なき名著である。


と。そして、大溪贇雄氏の推薦文として


昭和の御代に神佛論争などがおこなはれることは奇怪至極であって、(中略)宜しく佛教徒は本書を繙きて、惟神の大道に立脚せる皇道佛教の本義に徹すべきである。


と。この広告文と推薦文は、『共生』誌昭和17年1月号(資料7)にも掲載されている。

本書の内容

目次によれば、本書は7章に構成されている。すなわち、

第一章 世界情勢の変転と国民の覚悟

第二章 日本の思想指導力

第三章 国体と仏教

第四章 皇道仏教

第五章 本尊問題

第六章 寺院教会の前途

第七章 東亜の指導力としての仏教

以下、各章を概説する。

第一章 世界情勢の変転と国民の覚悟

アメリカ、イギリスと戦争になれば、ユダヤ人が享楽煽動、文化撹乱、経済撹乱などの平和攻勢をかけてくる。ドイツはヒットラーが教導しているからユダヤ人の平和攻勢を防ぎ得る。聖戦5年目の国情は平和が最も恐ろしい。日本の陸海軍は備えをしている。財力兵力があっても人の覚悟が必要である。この問題は宗教家が指導しなければならない。教派神道、キリスト教よりも仏教がその責を負うべき。

各宗の最高学府、各宗政の最高宗務は銃後を導くと言うことに努力しなければならない。(資料8)

第二章 日本の思想指導力

日本は重要なる思想指導力を持っている。皇室を中心とする万邦無比の国体。仏教がインド、中国に衰え、日本に長く栄えたのは、仏教が偉いのではなく、日本が偉いのである。

天皇のみが宇宙生命の根本であるという事が認識されなければならない。(資料9)

聖徳太子は仏教を国教とされた。篤く三宝を敬うものは、詔を承って必ず謹む。日本の仏教は歴代の皇室に依り天皇に依って生かされた仏教、私はこれを皇道仏教と呼ぶ。各宗派は君徳を掲揚すべき。一億一心となり各宗も一掃すべき。新東亜共栄圏の国策に準じ、日本仏教として一致せる大陸開教を熱望する。

第三章 国体と仏教

仏教は国体と相容れる。日本の国体は何ものも包容するのだから、仏教も容れる。日本の国体が偉いから仏教を包容することができる。キリスト教も回教も包容する。詔は教文よりも先生の言う事よりも何よりも正しい。我が国体は如何なる思想、如何なるものも皆国体化せざればやまないという調書を持っているから、仏教が国体に合したのである。

仏教は国体指導の原理となるから、一億一心に合致すべきである。(資料10)

憲法のいう信教の自由とは国体的生活を根本においてのことである。仏教が努力し皇国の生命に合しないと、おいてけぼりを喰うのである。仏教は日本の大部を占め、国体を明徴にせる活宗教であり、大陸の教化は仏教に依らなければできない。

第四章 皇道仏教

天皇中心に現れる国家全体の動きが仏教になっているという事が皇道仏教である。欽明天皇、用明天皇を始とし、皇室御歴代から流れてきている仏教こそ、仏教の本当の精神を掴んだものである。日本仏教は一貫して戒方仏教である。五戒というようなものが過去は形式であったが、明治以後には実質的になった。皇道仏教を翼賛することが仏教徒の任務である。(資料11)

第五章 本尊問題

天皇陛下と本尊とはどういう関係になるかという事。相当の寺院の寿牌、天牌の飾り方について写真を撮っている。仏教というのは天皇の絶対性と本尊の絶対性は一如一体のもの。(資料12)

第六章 寺院教会の前途

明治以後の寺院には教化権と葬祭権が残った。国葬公葬の神葬、仏葬の問題。生前の教化力に依る。仏教全体更始一新協力して行くべき。(資料13)

第七章 東亜の指導力としての仏教

如何に日本は大陸を指導するかというと、共通するのは唯仏法である。新東亜共栄圏。有田外相がオランダ領東インド、南洋は新秩序に這入らないと発表したことは過ちである。(資料14)

新東亜建設という事は日満支三国ばかりでなくインドシナ、タイ、イギリス領インド、オランダ領東インド、オーストラリアも其の中に這入る。新東亜共存圏を作るのではなく、新東亜共栄圏を育てること。私は日韓、日満、日支の共生を指導してきた。新東亜共栄圏においては仏教だけが全面に在る。仏教者は聯合し相扶けて人材を教養すべきである。

本書の位置づけ

本書の位置づけには次の視点が考えられる。

  1. 日本の政治軍事史における視点
  2. 日本の宗教史における視点
  3. 日本の仏教史における視点
  4. 浄土宗史における視点
  5. 椎尾辨匡師における視点

以下、各視点を考察する。

日本の政治軍事史における視点

本書刊行の年、昭和16年は「聖戦5年目」であった。すなわち昭和12年に始まる日中戦争は継続していた。その前、昭和6年の満州事変、8年の国際連盟脱退、10年の天皇機関説否定と国体明徴運動があり、13年には国家総動員法、15年には戦争製作批判の斎藤隆雄議員の除名、近衛内閣の「大東亜共栄圏」、日独伊三国同盟、大政翼賛会、16年3月には国民学校令、そして12月には太平洋戦争が始まったのである。

本書は戦争中の言説として位置づけられ、その内容には戦争翼賛の要素がある。

日本の宗教史における視点

昭和14年の宗教団体法により、仏教、キリスト教、教派神道は皇国宗教の3団体と呼ばれた。宗教団体は国家の規制を受けた。国体に反すると見なされた団体には弾圧があった。(資料15)

本書には、天理教、大本教、キリスト教救世軍についての記述がある。本書は宗教団体は国体に随順すべきことを説いている。

日本の仏教史における視点

昭和10年第6回全国仏教大会が東京で開催され、椎尾辨匡師は「國體充實の仏教」と題して講演されている。昭和13年には『護國佛教』という本に「皇道佛教」という題で論文を発表。以後「皇道仏教」という言葉は宗派を超えて言われることとなる。(資料16)

浄土宗史における視点

本書は『共生』誌に広告文が掲載されてはいるが、浄土宗の記録には殆ど残っていない。しかしながら、昭和16年の3月浄土宗宗制制定(資料17)についての管長教諭において


聖戦下東亞大共榮圏ノ確保ヲ期シテ高度國防國家ノ完成ニ擧國一體邁進シツゝアルノ秋佛教徒タルモノ至誠以テ大政ヲ翼賛シ


とあって、浄土宗の方針も本書と一致する点が認められる。

椎尾辨匡師における視点

椎尾辨匡師は『共生』誌において国体に関する文章を著されている。(資料18)昭和7年「日本国体の国際化」、昭和10年「国体観念の明徴に関して」、「国体と浄土教」、昭和14年「皇道仏教」、「八紘一宇の道」などである。

本書『國體と佛教』は椎尾師の従来の説の上に位置づけられる。

今後の課題

本書を通じて、筆者は次の3点について課題を挙げる。

  1. ユダヤ人について
  2. 聖戦について
  3. 不殺戒について

以下、説明する。

ユダヤ人について

本書において、椎尾辨匡師はユダヤ人の恐れを説かれているが、(資料19)『共生』誌昭和8年6月号「列国の信運と仏教」において「共産党や猶太系(ゆだやけい)の人々をあれ以上に圧迫する必要はない」と擁護している。

(資料20)それが、昭和13年1月25日の衆議院本会議において「ジューの拝金思想、個人思想を絶滅して行く」となり、本書のユダヤ人批判になっている。その後椎尾師がどのようなユダヤ人観を持たれたのか課題としたい。

聖戦について

本書には「聖戦5年目」という記述がある。(資料21)昭和15年衆議院本会議で斎藤隆夫議員は「唯、徒に政戦の美名に隠れて」と演説し除名された。(資料22)その時椎尾師は、『何故に齋藤隆夫君は懲罰に附せられたる乎』という書を著し、「国政審議の壇上より、聖戦の本義を冒涜する如き不穏当極まる所論」と述べ非難されている。

「聖戦」という言葉について課題としたい。

不殺戒について

本書第四章皇道仏教(資料23)に不殺戒が説かれている。内容は徳川時代、堕胎、間引きを奨励し人口増加を見なかったが、明治になり、この悪弊が根絶して国民が増加したとある。戦争のことは一言もない。

戦争と不殺戒について課題としたい。