昭和17年『共生』誌における椎尾辨匡師の言説について

平成19年度浄土宗総合学術大会/平成19年9月6日 於大正大学 加藤良光

本稿は、昭和17年に財團法人「共生會」によって刊行された月刊『共生』誌の1月号から12月号までに掲載された椎尾辨匡師の執筆文、講演録などから椎尾師の言説について、検討するものである。椎尾師の言説について以下の項目を設け、見ていくこととする。

国際情勢

新秩序、新體制と喧傳される様になつたのは、昭和13年から14年の事で、近衛内閣に於いて“東亞新秩序の建設”を聲明されたのが始まりで、東亞の新秩序とは、日滿支が文化、經濟の上で協同提携してゆく事であると示されたのであるが、蒋介石は部下と共に反抗を止めず、日滿支提携容易に見るべくもなかった。15年、汪精衞氏の國民政府が成立したが、尚ほ軍事の大勢力は依然反對の立場にあった。ついでロシアと5ケ年の日ソ中立條約が締結し、また日獨伊、10年間の協定が結ばれ、日本の軍的勢力が段々と擴大され來つたが、世界を立直すことは容易の業ではない。12月8日、ハワイ、マレー等に於ける日本軍の大勝利は、舊世界をして著しく縮ましめた。(中略)何が新秩序であるか。即ち、英國の帝國主義を守るは舊秩序であり、この英國主義を破壞するは新秩序である。(資料1)
(『共生』誌、昭和17年11月号・1~2頁「まことに生きる道(1)」昭和17年9月5~6日大阪願生寺・共生20周年記念西部結衆にての講演録)

米英撃滅は勿論軍力に於て是を潰滅するにあるが、軍艦、飛行機、要塞をのみ撃滅するに止まらず經濟上に於ても日獨が要求する經濟の新秩序を立てるにあるが、仲々容易のことではなく、舊秩序反抗精神が強ければ結局事がならないのであるから、軍力、經濟力よりも舊秩序の精神力を破るは先着問題である。即ち個在、自由主義自張主義を潰滅するにある。
明治以来の敎育、産業、政治、殊に自治政治といはれたもの、之らの舊體制を破り、是を基礎づける個人自由主義を破るは取りも直さず米英撃滅である。(資料2)
(『共生』誌、昭和17年12月号・11頁「まことに生きる道(2)」昭和17年9月5~6日大阪願生寺・共生20周年記念西部結衆にての講演録)

つまり椎尾師は、アメリカ・イギリスは旧体制・旧秩序であり、それは個人主義自由主義であって、日本は新体制・新秩序であると言われる。そして、旧体制を破ることは、アメリカ・イギリスを撃滅することであると説かれる。

軍事

大東亞戰爭の大詔一度降るや、忠誠無比なる皇軍は、緖戰に於て米太平洋艦隊を撃滅し、英東亞艦隊主力艦を轟沈し、僅か10数日で難攻不落を誇つた香港を攻略し、20餘日にしてマニラを屠り、マレー半島を殆ど制壓、更に蘭印の要衝を相次いで占據し、援蒋の最後の輸血路とたのむビルマにも進攻、僅か50日にして米英が世紀に亙る侵略の魔手をほしいまゝに振つた東亞の重要據点は、殆ど我が勢力圏に歸し、また歸さうとしてゐるのである。(中略)まことに日本の前途は洋々たるもので、30年來の暗雲破れ明るい道が開かれたのである。8日以來ラヂオは毎日戰勝の新しい輝かしいニュースを相ついで報じ、應接に暇なき有様で、物資の不足もものかは、封鎖壓迫も南方に道が開かれ、明るき喜びを感じた事は事實である。(資料3)
(『共生』誌、昭和17年3月号・2頁「大東亞戰爭と信仰生活」昭和17年1月29日・東京心法寺にての講演録)

軍事的には日本は忠誠武勇の國民であり、軍としては、大元帥陛下御親率の軍隊で、皇室を中心とする國軍は世界無比である。(中略)日本國内の軍國的機構は整備され、皇室は絶對に信頼し得る軍隊である。(中略)軍の動きに就いては見ず、訊かず、云わず主義で、軍を絶對的信頼さへすればよい。(資料4)
『共生』誌、昭和17年9月号・6頁「個在文物撃滅による日本の大道(1)」年月日不明・名古屋中部結衆にての講演録

とあって椎尾師は、大東亜戦争の緒戦において、アメリカ・イギリスの軍事拠点を攻撃制圧していることに対して、明るい道が開かれたと述べられている。そして、日本の軍隊は天皇親率の軍隊であるから、絶対に信頼すべきであると説かれている。

信仰

軍人は既に正しい信仰を以つてまつしぐらに進んでゐる。政治家も、經濟家も、農民もこの信仰を把握して進まねばならぬ。現在、我國は大いなる信仰生活が躍動しつゝあるのである。然らば如何なる事柄が、信仰が日本人の中に強く現はれてゐるかといふと、陛下の大御稜威の大いなる事を感じてゐる事である。(中略)即ち大東亞戰爭に依つて國民が信仰生活を強められてゆくのである。(中略)正しい信仰が現れて來ると恁うして總てに生きて來るのである。祖宗の御力が歴代の天皇に現はれ現在の陛下に顯現し給ふのであつて、此の尊き御力の現れである天皇に絶對に歸一するのだといふこの信仰が最も正しいのであつて、今日此の信仰が段々と強くなつてゆくのである。(資料5)
(『共生』誌、昭和17年3月号・5~7頁「大東亞戰爭と信仰生活」昭和17年1月29日・東京心法寺にての講演録)

とあってこれらの文においては、椎尾師は、大東亜戦争によって国民の信仰生活が強められていくのであり、それは天皇に対する信仰であると述べられている。

教育

明治以來この個性尊重の敎育がはびこつたのである。是れは個在、個人、自由主義であつて、東洋、殊に日本の思想と相容れぬものである。この事を以前から論じて來たが敎育者からは歡迎されず全く受容れられなかつたのである。昨年は敎育者に取つて大變化のあつた年である。(中略)米英流の個在自張主義を捨て、皇道に歸一し皇道に則る國民敎育であり、是れは日本には明瞭に育つ道であつて、御詔勅に示される 陛下の大御心に則る敎育である。(資料6)
(『共生』誌、昭和17年11月号・7頁「まことに生きる道(1)」昭和17年9月5~6日大阪願生寺・共生20周年記念西部結衆にての講演録)

とあって、椎尾師は、以前は明治以来の個人尊重の教育は日本の思想と相容れないと主張しても、教育者から受容れられなかったが、昨年から教育に変化があり、現在は皇道に則った国民教育になったと言われている。

仏教の将来

明治以來米英主義が染みついてゐるから、容易に出來ないと考へるが、米英思想を破るためには先づ指導者たる僧侶は別々の魂を持つといふ、個人的な考へを解消し、將來の佛敎は大生命の中に生きるといふ思想の中に再出發をせねばならぬ。而して互いに拝み合ひ喜び働く事を中心に、正しい新しい形の佛敎の姿が出て來なければならない。(資料7)
『共生』誌、昭和17年6月号・16頁「大東亞共榮と佛敎の將來」年月日不明・東京教善寺にての講演録

とあって、椎尾師においては、仏教の将来は、アメリカ・イギリスの思想である、別々の魂を持つという個人的な考えを解消し、大生命の中に生きるという思想でなければならないと述べられている。

浄土教

又、一般時局としても20年前には個在、個人、自我主義の全盛期で、佛敎でさへ個在的になり、淨土敎でさへ眞の相を見失つてゐる時であつた。(資料8)
(『共生』誌、昭和17年12月号・1頁「皇道世界(1)」昭和17年11月1~3日鎌倉光明寺・共生20周年記念東部結衆にての講演録)

とあって、椎尾師においては、昭和17年より20年前には一般時局も個在個人自我主義全盛であって、仏教も浄土教も真のすがたでないと主張されている。

共生

爾來滿20年ドイツも發達し日本も躍進しましたが、共生きは依然微々たる如うにも見える。然し、個人自由享樂功利の主義も、これを柢柱とせる米英も撃滅せられる時代となりまして、個在、共存、唯物、利樂と奮闘せる共生共榮の過去の努力が効果したと感じもする、又産業報國となり商業の報國公益となり、農業の尊重發達となれるもの、皆共生の主張せる所が幾分を實現して來たものである。殊に内鮮共生として釜山京城等の共生事業の發達や日滿共生として 康徳陛下の御嘉尚を被れる、日華の同願共生となれる、又は、日滿支提携、東亞の共榮新序等の新國際事實が個在共存ではなく共生共榮を基とせるは、共生の大道が如何に有力に展開せるかを示すものである。(資料9)
(『共生』誌、昭和17年6月号・1頁「共生きの20年」、執筆文)

重大な時局に當り共生同人は奮起して社會の支柱となり、進んで國運を負ふ仕事に捧げ働かねばならぬ。お國の仕事を喜んでやる時、米英は撃滅され、喜んで捧げる時本當の共生が出來るのである。仕事がころんで居るのに氣がつかず、手をちゞめる時は、米英が力を占める時であり、己を空うして喜んで奉じる時、敵は退歩し逆轉するのである。その時光輝ある歴史は輝き、新しき感謝合掌が出て來るのである。(資料10)
(『共生』誌、昭和17年12月号・16頁「まことに生きる道(2)」昭和17年9月5~6日大阪願生寺・共生20周年記念西部結衆にての講演録)

とあって、共生とは、アメリカ・イギリスの説く個人自由主義に反対するもので、この二国が撃滅されようとしている時代になり、共生の主張が実現してきている。東亜諸国と提携することは、個在共存ではなく共生共栄である。国家に身を捧げる時に本当の共生ができると説かれている。

反語表現

茲に大東亞國家群は本當の佛を拝む様になる。タイ、ビルマも、“日本は戰爭が強いが經濟、文物の点はどうであるか、特に信仰となると日本のは佛敎ではない、佛敎は釋尊の御敎を堅固に守るにある。五部の經典を守るべきである。阿含經はあつても不完全である。大乗經を讀むことは佛法ではない、戒律を尊重するのは佛敎である第一男女の不淫を戒め獨身を貴ぶのに日本僧侶は妻帯し殺生を戒めるのに肉食し銃を執って人を殺す、あれは戒律に反くから佛法ではない”といふ。我國よりいふと佛法は三寳を貴ぶにある、聖徳太子の昔より篤敬三寳として行はれてゐる、と両方は佛法であるといふ事で対立する。日本に於ても僧侶に対して非難はあつても、日本佛敎は佛法でないと云はれると、たとへ神道の人であつても快く思はない、故に佛敎の差別色ではなく、逆に根本の深い共通点に立つて、捨てられぬところの、温みのある、味ひのあるものを、一切の差別を取入れ而も純化し深化したものを、眞の佛法とするのである。(資料11)
(『共生』誌、昭和17年6月号・14頁~15頁「大東亞共榮と佛敎の將來」年月日不明・東京教善寺にての講演録)

日本には天皇在しまし、伊太利には皇帝在し、獨逸には大總統あつて、何れも軍力を以つてアジア又は欧州に勢力を進めてゐる。是れは帝國主義ではないか。同じく侵略し領土をつくるではないか。成程滿州事變に於ては獨立を助け、支那事變に於ても占領はしなかつた。併し大東亞戰となり、香港を始め、マレー、比島等を領土として取扱ふではないか、獨逸と同じく軍力にて領土を擴張するではないかと、或は疑ふであろう。併し、日本が非帝國主義である所以は、帝國主義を破つて新秩序を築かんとして、自ら立つて獨伊を引張つてゆくが、軍力に目標をおかず全く新しい形をもつて勝ち抜くにある。米英を撃滅して敵力を潰滅するにあるが、軍力に依つてのみ亡す米英などの行き方とは異にする。(資料12)
『共生』誌、昭和17年11月号・2頁~3頁「まことに生きる道(1)」昭和17年9月5~6日大阪願生寺・共生20周年記念西部結衆にての講演録

とあって、椎尾師は、反語表現を使われることがある。ここでは仏教の戒律と帝国主義の二例を示した。反語表現において、仏教の戒律にそむくこと、帝国主義であることの疑問を椎尾師は認識されているのである。そしてその認識を否定されるのである。

以上、昭和17年『共生』誌における椎尾辨匡師の言説について、国際情勢・軍事・信仰・教育・仏教の将来・浄土教・共生・反語表現の項目を立てて検討してきた訳であるが、ここに見られるのは、太平洋戦争緒戦における日本軍の勝利を、旧体制であるアメリカ・イギリスの個人主義自由主義の滅びと捉え、天皇信仰・皇道教育に基づき、仏教も浄土教も個人主義を廃し、共生も個人主義自由主義に反対し、東亜諸国と提携し、国家に身を捧げることであるとの主張である。