浄土宗報国会について

平成20年度浄土宗総合学術大会/平成20年9月8日 加藤良光

本稿は、昭和16年6月から昭和21年2月まで存在した浄土宗報国会について、以下の項目を設け、見ていくこととする。

略年譜

昭和16年

6月3日発会式・全員協議会 東京 明照会館
6月4日第1回委員会 東京 明照会館
6月18日皇道精神と宗義顕彰に関する特別委員会
6月24日東京支部 発会式
9月24日特別委員会「我が國體と淨土宗に就て」
10月29日宗門組織力発揮に関する特別委員会
11月21日
  より
11月23日
兵庫支部 報国挺身隊練成道場
12月8日大東亜戦争宣戦布告

昭和17年

2月6日本部委員会
2月7日全国支部長会議
3月16日浄土宗報国隊練成要綱
8月21日全国協議委員会・規約一部改正
9月1日寺庭婦人会結成依頼

昭和18年

1月8日浄土宗報国会会歌発表
3月浄土宗報国会、宗制に規定
9月1日大阪より福岡へ炭坑奉仕報国隊
9月13・14日浄土宗報国会本部会議
12月15日宗報愛国機「明照号」献納を提唱

昭和19年

2月12日浄土宗報国会檀信徒代表者会議
アルミニウム回収運動を提唱
2月15日浄土宗宗報付録 浄土宗報国会報
4月8日愛国機「明照号」献納式
6月4日陸軍へ愛国機「明照号」6機命名式
6月28日浄土宗報国会本部会議
9月20日海軍へ愛国機「明照号」11機命名式
11月1日浄土宗報国常会運営要項を発表

昭和20年

2月28日浄土宗報国会委員会及協議員会
8月15日終戦
10月15日浄土宗報国会事業概要を発表

昭和21年

3月1日浄土宗報国会を解消、浄土宗興隆会発会

発会式

浄土宗報国会の発会式は昭和16年6月3日、東京の明照会館にて開催された。(資料1)

参加者は102名。式次第は、開式宣言、宮城遥拝、国歌斉唱、回願、総裁垂示、誓約、会長挨拶、万歳奉唱、閉式宣言である。総裁は浄土宗管長郁芳隨圓猊下。

(資料2)垂示の全文をここに示す。(資料3)

御稜威ノ下大義ヲ八紘ニ宣揚シ坤輿ヲ一宇タラシムルハコレ我ガ肇國ノ精神ニシテ亦コレ我ガ皇國佛敎ノ理念タリ
顧ルニ支那事變勃發以來將ニ四星霜今ヤ國ヲ擧ケテ外ニハ東亞共榮圏ノ確保ヲ期スルト共ニ進ンテ世界平和ノ建設ニ貢獻シ内ニハ萬民翼贊ノ新體制ヲ樹立シテ高度國防國家ノ完成ニ邁進シツヽアリ寔ニ振古未曾有ノ重大世局ニシテ億兆一心奉公ノ赤誠ヲ抽スヘキ秋ナリ
老衲乏シキヲ以テ大日本淨土宗第八十一代ノ法燈ヲ繼キ佛祖恩光ノ照益裡敎化ノ重責ニ任シ夙夜兢々トシテ報國ノ大義ヲ切念ス
今正ニ機縁ノ熟スルアリテ本日げんニ淨土宗報國會ノ結成ヲ見其發會式ヲ擧行スルニ至レルハ無上ノ宗幸ニシテ欣快ニ堪ヘサルナリ冀クハ本宗々侶タル者本會結成ノ因テ來レル時代的要求ヲ正認シ皇國佛敎ノ精華タル淨土宗ノ本義ヲ闡揚シテ宗敎報國ノ實ヲ擧クルト共ニ擧宗一體ノ體制ヲ整備シ宗門活動強化擴充ヲ期スヘシ
コレ即チ淨土宗々侶トシテ大政ヲ翼贊シ奉リ臣道ヲ實踐スル所以ニシテ本會カ所期スル目的亦此ニ存ス闔宗ノ緇徒夫レ克ク之ヲ體セヨ
 昭和十六年六月三日
                              淨土宗報國會總裁 郁芳隨圓

発会式に続き全員協議会が開かれ、総裁より役員の指名を受けた。総裁は浄土宗管長、副総裁は大本山住職4名、会長は浄土宗宗務長、顧問47名、協議員75名、委員25名、本部職員として書記長は浄土宗宗務所主事、参与16名であった。

規約

浄土宗報国会の規約は、総裁が定めるものとし、17条からなる。第2条には「本會ハ本部ヲ淨土宗務所内ニ支部ヲ各敎區内ニ置ク」とあり、第3条には「本會ハ宗敎報國ノ實ヲ擧クル爲擧宗一體々制ノ強化ヲ圖リ敎綱ヲ振作シ敎化ヲ擴充スルヲ以テ目的トス」と示している。

第5条以下には役員についての条文が記されている。(資料2)

活動内容

1・特別委員会の設置

本部発会式の翌日、委員会が開かれ、二つの特別委員会の設置が決められた。皇道精神と宗義顕彰に関する特別委員会と、宗門組織力発揮に関する特別委員会である。前者においては、のちに宗教報国特別伝道講師の参考資料として『わが國體と淨土宗』を作成し宗報に掲載している。(資料2)

2・支部の結成

昭和16年6月3日の本部発会以来、各教区では夫々支部発会式が行われた。東京支部は6月24日増上寺において、発会。宣言文、決議文が決定し、実践要目が決められた。実践要目は、報国伝道の実施、国民貯金の奨励、同願念仏の励修、寺院の開放、青少年団及び教団の拡充強化を計る事、植樹の六であった。

その他の教区支部においても、支部毎の宣言、決議、実践要目が決められ組織化された。(資料4)

3・報国隊・挺身隊の結成

支部によっては、青壮年僧侶を組織して、報国隊または挺身隊の名称を付し、練成道場を開催する教区もあった。(資料5)

4・檀信徒会員の獲得

昭和17年8月21日全国協議員会が開かれ、規約の一部更正案が協議され、檀信徒会員の獲得が決められた。(資料6)

5・寺庭婦人会の結成

昭和17年9月1日、報国会本部から各支部長宛に、寺庭婦人会結成並に報告依頼に関する通牒が出され、未結成の所は結成の依頼をしている。(資料7)

6・浄土宗報国会会歌

宗報昭和18年1月号には、予て一般募集していた報国会会歌の当選歌を発表。翌2月号には音盤収録し全国頒布の為広告を掲載している。(資料8)

7・掲示伝道資料

宗報昭和18年2月号から4月号には、掲示伝道資料として、数種の成句が掲載されている。3月号の中には、「同生共死、同願共修、同心共力」の句も見える。(資料9)

8・宗制に規定

昭和18年3月に開かれた第46次定期宗会において、浄土宗報国会は宗制に規定された。そのため、従来の浄土宗報国会規約は廃止となった。新たな規定のなかには、青年部、婦人部、少年部が置かれ、従来別立していた浄土宗青年会聯盟、浄土宗婦人会聯盟、浄土宗児童協会が解消され、報国会の機構の中に組み入れられた。(資料10)

9・炭坑奉仕報国隊

昭和18年、大阪府仏教団では石炭増産報国のため各宗より青壮年僧侶300名をもって勤労報国隊を組織し、9月1日から福岡県鞍手郡剣村の三菱新入炭坑に奉仕せしめた。浄土宗から31名が参加した。(資料11)

同年、千葉支部報国隊隊員5名は、10月9日仏教各宗派僧侶とともに北海道大夕張炭鉱へ向け千葉駅を出発した。(資料12)

同年、函樽教区の3名、北海教区の2名は12月13日より北海道の美唄及び赤平炭山で働いている。(資料13)

昭和19年、報国会京都支部では協力令により鉱山勤労報国隊編成の命を受け、30名が2月15日秋田県尾去沢鉱山に向け京都駅を出発した。(資料14)

そのほか、日程不明であるが、滋賀教区から三菱方城炭坑、福井教区から第二高松炭坑に行っている。

(資料15)茨城教区からは日立鉱山に勤労している。(資料16)

飛行機献納

宗報昭和18年12月15日号の表紙には『大詔奉戴二周年を迎えて―愛國機「明照號」の獻納を提唱―』と題し、文章が記されている。

(資料17)その後半に、

本宗は過般第三回宗敎報國特別傳道を實施し、併せて管長布敎を行ひ全國八地方に於て協議會を開催し、現下緊要なる事項を附議し、只管戰時活動の推進強化に努むることにしたが、その際一宗として獻納運動を即時實行すべしとの聲が期せずして擧げられたるを以て、げんに大詔奉戴二周年を記念し報國會本部に於ては、總本山各大本山と協同し愛國機「明照號」の獻納を決行することゝなり、別稿趣旨書の如く、擧宗一體の下に吾等が報國の赤誠を捧ぐることになつた。

とあって、愛国機「明照号」献納が全国からの声に応じたものであると説いている。また、宗報同号の趣旨書に示された要項は以下の如くである。(資料18)

・一、本宗寺院、敎會所、宗敎結社ニハ寺格等級ヲ標準トシテ最低擔當額ヲ定メ敎務所ヲ經テ指令ス。但シ負擔個數一個ニツキ金拾圓以上トス(例示)能分一等金百圓以上 准別一等金二百圓以上 別格一等金五百五十圓以上
・一、各寺院住職、敎會主管者宗敎結社代表者ハ直チニ各自檀信徒ヲ勸募シ擔當額以上ヲ昭和十九年三月十日マデニ敎務所ニ完納サレタシ
・一、敎務所長ハ敎區内寺院、敎會宗敎結社ノ住職等ヲ督勵シ昭和十九年三月二十五日マデニ必ズ取纏メ宗務所ニ送納サレタシ
・一、宗務所ハ四月八日コレヲ愛國機「明照號」ノ製作費トシテ陸海軍ニ獻納ス
・一、前記獻納金ニ對シテハ宗務所ハ擔當者ニ相當功績點ヲ附與ス
     (淨土宗報國會本部 總本山知恩院 大本山増上寺同金戒光明寺 同知恩寺 同清浄華院)

この趣旨に従い全国からは予定に倍する金100万円余りの献納資金が寄託され、(資料19)4月8日、献納式を全国教務所長参列のもとに挙行し当日陸海軍へ第1回として各金50万円を献納した。

(資料20)また4月20日知恩院においても献納報告法要が行われた。陸軍へ献納の6機の命名式は6月4日京都市岡崎公園において挙行された。

(資料21)宗報昭和19年7月1日号には、

午後一時開式、國歌奉唱、修祓、降神、献饌、祝詞等の後献納者代表として淨土宗報國會總裁郁芳隨圓猊下の献納之辞あり陸軍大臣より「淨土宗報國會より献納せられたる愛國機三五六九號より三五七四號を明照第一乃至明照第六と命名す」と嚴かに命名せられ感謝状を交付玉串奉奠、撒饌、昇神、京都府知事、京都市長の祝辭あり京都市國民學校兒童代表の壯途を送る辭、花束捧呈があり、一同海ゆかば齊唱、萬歳奉唱の後、命名式委員長の挨拶を以て閉式した。

と記載されている。

海軍へは第1回に50万円、6月28日に第2回として38万円を献納した。

(資料22)海軍機「明照號」11機の命名式は、9月20日東京都新橋演舞場において挙行され、總裁猊下代理として里見宗務長が参列した。(資料23)

アルミニウム献納

飛行機献納に続き、第二次運動としてアルミニウム回収運動が提唱された。昭和19年2月12日知恩院に開催された浄土宗報国会檀信徒代表者会議において、3人の代議士の提唱による。

(資料24)宗報昭和19年4月1日号には、

アルミニウム回収運動實施要項
一、趣旨
戰局ノ現段階ハ苛烈ヲ極メ航空機ノ増産ハ刻下ノ急務ナルガ「アルミニウム」ハ航空機ノ製造ニ缺クベカラザル資材ナリ、仍テ寺院、敎會、宗敎結社並ニ檀徒、信徒ノ家庭ニ退藏セラレ又ハ破損不用ノモノヲ供出セシメ報國ノ一端ニ資セントス
二、方法
寺院、敎會、宗敎結社ヲ中心トシ檀徒各家庭並ニ各種團體ニ前項ノ趣旨ヲ徹底セシメ其ノ協力ヲ促スト共ニ各寺院敎會等一定ノ場所ニ集荷ノコト
三、期間及報告
回収期間ハ來ル四月末日マデトシ供出シタル資材ノ數量ハ寺院、敎會、宗敎結社毎ニ敎務所ヲ經由シ之ヲ宗務所ニ報告スベシ宗務所ハ前項ノ報告ヲ取リ纏メ整理ノ上之ヲ軍需省ニ報告スルモノトスル
                                         淨土宗報國會本部

この趣旨書は宗報には4月15日号と2回掲載された。以後の経過について宗報には詳しく記載されていない。

終戦前後の活動

宗報昭和19年11月1日号には、宗教団体戦時報国常会運動が実施されることが記されている。そして浄土宗報国常会運営要項が発表されている。この頃より浄土宗宗報には報国会の活動報告記事は殆ど掲載されなくなった。

昭和20年8月15日終戦後、報国会はしばらく記事がなかったが、10月15日号(資料25)には、

淨土宗報國會は昭和十六年六月本宗敎旨に基き奉公精神の昂揚宗敎的生活の徹底を期して擧宗一體宗敎報國の實を擧ぐるを目的として結成せられ聊か戰時下の宗敎運動として貢獻し來りしが去る八月十五日終戰の大詔御渙發により大東亞戰爭にげんに終結を見る事になりたるも本會にこれを以つて其の事業を終止する事なく今後は本會本来の使命に基き彌々一宗の總力を結集して更に寺檀の緊密強化をはかり僧俗一體道義の昂揚につとめ宗門護持の運動邁進することになり

とあって、檀信徒協議会、婦人会、青年部、少年部の事業概要が掲げられている。戦時中の言説とは格段の違いである。

昭和21年2月、浄土宗報国会は解消し、3月1日より浄土宗興隆会と生れ替わった。

昭和21年2月、浄土宗報国会は解消し、3月1日より浄土宗興隆会と生れ替わった。(資料26)

今後の課題

以上浄土宗報国会について見てきた訳であるが、今後も次の課題について考えていきたい。

1・宗教と国家

報国会運動には国家との関係が考えられる。文部省の指導などについて追求していくべきと考える。

2・国家神道と浄土宗義

報国会運動には国家神道との関係が考えられる。浄土宗義特に教学、布教においてどのような言説がなされたのか調査すべきと考える。

3・戦争と僧侶

報国会運動に参加した浄土宗の僧侶は戦争をどのように考えていたのか、そして終戦となりどのように考えを変えたのか考察していきたい。