住職、加藤良光の短歌・平成20年

 

(無題)

込み合へる十日戎の祇園町甲羅酒にて蟹を頂く

冬北斗見つつ入りにし京屋には鱈の白子の鍋待ちてをり

鼈の鍋を囲みて夢語る我等三人春節の夜

雪舞ひの氷見の港に思ひ寄せ強き形の握り寿司見る

埼玉の詠唱人と語り合う苦労のことと喜びのこと

熊谷の蓮生法師のゆかり寺詠唱人と共に経読む

大宮の駅の近くの寺に来て祖師のお歌の心伝へり

雷の魚と呼ばるるはたはたの姿のままに揚げられてをり

山椒のほのかに匂ふ鯖寿司をふたつみつとり皆で頬張る

ある人の終わりの知らせ受けし夜に風呂吹き食べてかみしめにけり

デザインの議論となりて口ごもる鯛の刺身に大根のつま

誕生日祝ふ五人の鍋物は豆腐白菜名残の松葉

妻思ふモーツアルトを聞きながら鯛のあら煮と合わせの牛蒡

ピータンを求めて得たるこの夕べ京の白川中華の小店

紹興酒酌み交はす夜の語り物武人のあはれ出家の涙

海山の幸を生かすは黒胡椒噛みて互ひに頷くばかり

直実の裔の娘は清々し雲立涌の絹を纏ひて

憧れはニューカレドニア海原に漕ぎ行く子等の煌めく瞳

塩味は嗅ぎてこそあれ潮汁赤き漆の椀を手に取る

賀茂茄子を揚げ出しにして勧めたる亭主の顔や嬉しかりけり

割烹着着こなす人の我が為にグラスの露を柔く拭く見ゆ

花水木咲き並びたる京都にて淡き思ひの跡を辿らむ

葉桜のインクラインを行く二人久方揃ふ学窓の友

 


5月9日松濤先生を岡崎に迎えて

九十と六歳になる先生の張りある声を心して聞く



 

5月11日清水実相寺に参りて

百二歳浄土門主の通夜に来て三縁人と阿弥陀経読む



 

5月13日新幹線に乗りて

車窓より近江の人の田に出でて早苗直しの姿眺むる



 

5月14日増上寺の詠唱研修会に参加して

両の手を強く押し出し拍示す熱き思ひを直に頂く



 

5月22日ミッドランドスクエアに登りて

新たしき名古屋のビルの空廊に老いたる夫婦しばし佇む

地上三百メートルの遊歩道その感覚や目を閉じてみよ



 

5月25日京都駅高石ともやの歌マラソンを見に行きて

その昔高石ともやここに来てコンサートする豊橋の町

京都駅高石ともや路上にて笑顔笑顔で歌をうたへり



 

6月2日光州という映画を見て

軍人に暴徒と呼ばれし若者は銃弾数多受けて倒るる



 

6月11日中村名誉門主の表葬に参りて

頂きし選擇集の御詠歌を声を限りに皆と唱へり

薄切りの鮑ひとひら舌に乗せ秘めたる甘味しばし楽しむ

松江より来たりし友と並び居て初めて食す鱧の柳川



 

京屋の主人より暁の一首を望まれて

暁の浜辺に立ちて我誓ふ海の旨味のまこと伝へむ

骨切りの仕込みの姿思ひつつ梅肉添への鱧を味はふ



 

同日山形教区詠唱講習会

山形の詠唱人と時作る唱へ終はりて見交はす笑顔

雨上がり十一月の一日の空見上げれば有明の月



 

6月22日、法然上人の御廟に詣でて

法難の日の今日にこそ声出して選擇集は読むべかりけれ

打ち解けてビールつぎ合ふこの夜はおろし大根鰹のたたき

六人の会話賑はふその訳は鱧のしゃぶしゃぶポン酢の香り

壷焼きの栄螺を取りて口含む欲の少なき母の好物

揚げ出しの碗の中には鱧と餅互ひに食みてまた面白し

若鮎の泳ぐが如きのぼり串眺めて楽し味はひて良し

次々と人集ひ来る京屋にて皆と頂く鯵のづけ丼

事故死せる後輩の父母寺に来て二十七回年忌勤める

京都にてぐじと呼ばるる甘鯛のちり蒸し食べて心和らぐ

七月の滋賀の稲田の青き中自転車少女風切り走る

黙々と枝葉刈り込む動きには長き修業の技の跡あり

竹酒を酌み交はしつつ取る物は酢味噌かけたる帆立と胡瓜



 

熊谷かおり氏の創作せるミュージカル法然のCDを聞きて作る歌三首

高音の伸び麗しき声聞けばミュージカルへの思ひ膨らむ

スメタナの我が祖国にも通じたる熱き心の旋律を聴く

目の当たり祖師の行状見る如し序破急ありて心驚く



 

7月25日、新幹線を待つプラットフォームにて

灼熱の大地なる語を習ひ初め彼方の事と思ひしものを



 

7月30日、豊橋から京都へ行く新幹線の車窓から

養老の山並み青し空青し美濃の平野の夏の田原も

豊橋の戦没者への慰霊祭慰霊の歴史我講演す

役人の遺骨収集捗らず民間人の元兵士立つ

この国の八百年のその昔祖師法然念仏説けり



 

平成13年9月11日午後、東京の千鳥ヶ淵戦没者墓苑を初めて参りて

無名ゆえ帰る町なきご遺骨に献花合掌念仏回向



 

フォーク歌手三浦久毎年ここに来てライブするといふを知りて

人思ひライブハウスの拾得を歩き探して遂に行き着く

豊橋は路面電車の走る町人の心も時の流れも

枝先の花房揺らぐ百日紅盆の棚経道々に見る

テニアンに行きたくはなしされどなほ友の遺骨は洞窟の中

田の中の道を進めば稲穂垂る立秋過ぎの日没の頃

わが身にはポニーの如きバイクなり棚経参り握るハンドル

盆中日農家の車庫に燕をり巣育ち頃を懐かしむかな

再会の思ひ叶ひて此処に居る一期一会の此の世の定め

京屋来てひとたび毎の胡麻を擂りひとたび毎の鍋を喜ぶ

松茸に鱧を重ねて口にするこの幸せを誰にか告げむ

三人の中に置きたる夏毛蟹甘ほろ苦き味噌の味はひ

青緑黄緑色の絨毯を敷くが如くに米田なりゆく

浄土宗平和アピール文案の議論をするももどかしさあり

体験の無き者達の言なりと穏やかに言ふ老人の過去

窓際のベッドに伏して涙する再入院の初日の夜に



 

映画「象の背中」を観て作る歌八首

胃癌宣告六ヶ月魂は荒れ地に入りぬ会社男の

怒り爆発発言の暴力はひとり死に行く運命の拒否

それは初恋過去の事呼び出して今に告げるは自己の満足

キャッチボールの音虚し友情は三十年の絶縁の果て

相手倒産土下座して詫び言へば頬に足蹴り腹にも二発

実家の兄に癌告げる町工場狭き事務室煙草の煙り

愛人の存在せるを確認す夏のホスピス妻部屋を出づ

感情にゆるしはあるか背信の夫なるもの妻にありては

秋の日の琵琶湖の国の刈田には少しばかりの彼岸花咲く

新京極の夜十時歩き行く十七歳の我の幻影

四条烏丸交差点立ち止まる恋人達のかけひきの声

腕組みて歌ふは東京ラプソディ心浮立つメロディーの妙

秋の貴婦人笹鰈皿の上大人の恋は名を捨ててこそ



 

映画「おくりびと」を観て作る歌一首

納棺は技術となすや現代は子は親を抱け化粧を致せ

恋がるる人を恋人と人言ふや恋がれし人は何と呼ばれむ

村々に農耕の馬昔をり軍馬となりて帰る馬無し



 

映画「三本木農業高校馬術部」を観て作る歌三首

失敗を重ね重ねてその後に高校生の騎手は飛越す

春桜秋は紅葉の並木道手綱を取りて馬と歩む子

リズム良く障害飛越せる技は馬術部員の努力の証し

臍下丹田力入れ歌ふべし熊谷かおり熱意の指導

スジャータの乳粥供養珈琲にミルク落とすは誰彼の為

静岡の駅より遠き寺に来て浄土宗の威儀を考ふ

詠唱を指導せる者育てむと増上寺来て講座受け持つ

埼玉の詠唱人と縁結ぶ奉納の会念仏の声

我が寺の詠唱人とバスに乗り伊賀の国にて詠歌奉納

知恩院和順会館大広間普及委員の熱意溢るる

この夜谷川俊太郎知恩院詩人の声は張り詰めてをり

堂内に小室等の歌響く死んだ兵士の残したものは

梅原猛講演の論聞けば山川草も仏となるか

二十年四月二十日のレイテ島戦死の伍長現前の墓

戦争は罪悪である老僧は言を曲げずに罰受けにけり

子供らとスタジオ入りて歌歌ふ世界平和の望み込めつつ

サッカーが好きな若者声楽し小学校の夜のグランド

秋深き知多の海辺の道行けば水平線に浮かぶ神島



 

広島平和記念資料館に行きて詠める歌七首

平和とは記念とすべきことなるか資料館の名前訝し

広島の平和記念の資料館観覧券と印刷の文字

広島は軍都と呼ばれし町なりき富国強兵日本帝国

十三万の人即死広島の八月六日虐殺の朝

熱傷の写真数多展示あり被害の人のその後は如何

放射能見えぬ汚染の被害あり思ひ願ふは医療の進歩

原爆を理解認識せることはひとりひとりが背負ふ誓願

広島の平和念仏法要に宗務総長非戦を誓ふ

平和への宣言文の草稿に加わる我の責務を思ふ



 

映画「三本木農業高校馬術部」を観て作る歌三首

失敗を重ね重ねてその後に高校生の騎手は飛越す

春桜秋は紅葉の並木道手綱を取りて馬と歩む子

リズム良く障害飛越せる技は馬術部員の努力の証し

臍下丹田力入れ歌ふべし熊谷かおり熱意の指導

スジャータの乳粥供養珈琲にミルク落とすは誰彼の為

静岡の駅より遠き寺に来て浄土宗の威儀を考ふ

詠唱を指導せる者育てむと増上寺来て講座受け持つ

埼玉の詠唱人と縁結ぶ奉納の会念仏の声

我が寺の詠唱人とバスに乗り伊賀の国にて詠歌奉納

知恩院和順会館大広間普及委員の熱意溢るる

この夜谷川俊太郎知恩院詩人の声は張り詰めてをり

堂内に小室等の歌響く死んだ兵士の残したものは

梅原猛講演の論聞けば山川草も仏となるか

二十年四月二十日のレイテ島戦死の伍長現前の墓

戦争は罪悪である老僧は言を曲げずに罰受けにけり

子供らとスタジオ入りて歌歌ふ世界平和の望み込めつつ

サッカーが好きな若者声楽し小学校の夜のグランド

秋深き知多の海辺の道行けば水平線に浮かぶ神島



 

津山市の高野神社を参りて詠める歌一首

漆間家のゆかりの神社ひとり来て杏葉紋の妻飾り見る



 

塩飽島を訪ひて詠める歌三首

塩飽島祖師の遺跡専称寺御堂前にて念仏一会

来迎寺本堂前に分身の巡錫記念旗二本あり

塩飽島出港までに一時間思ひ直して阿弥陀寺参る



 

映画「私は貝になりたい」を観て作る歌一首

戦争の犯罪者とは誰のこと町の理髪師村の先生



 

ミュージカル「南十字星」を観て作る歌一首

ミュージカルその名も南十字星インドネシアと日本人とはv

知恩院の和順会館別れの日名残を惜しみ段に佇む

赤もみぢ黄色もみぢの知恩院今年の秋は会ふ人多し

とん汁と助六ずしと水餃子感謝のしるし愛のサービス

愛しさは両手の先に表われり我が子とともにポーズをつくる

この夕べ撥遣式の勢至丸導師の宣疏念仏の声

この秋の最後の夜の知恩院ライトアップの三門を見る

今日の日は京屋の主人の誕生日手拍子弾む皆の歌声

大皿に河豚の唐揚げ盛られたり各々取りて美味しと言へり

白味噌と海の匂ひのあさり汁今日の集いは嬉しかりけり

十二月祇園の夜の食事会旧知の人も新たな人も

元気あり食欲もあり酒もまた語れば楽し学問の人

八人の笑顔笑顔のこの夜に酢橘添へたるクエの唐揚げ

知恩院の三門修理の句集読む募財部長の父の思ひ出

俳句にて客をもてなす主人なり祇園の町の店は吉うた

冬枯れの滋賀の田畑を眺めつつ培ふ人の姿を思ふ

我は今サンタクロース喜びの幼児の笑顔保育士の顔

冬の日の滋賀の広野に緑有り麦の季節の始まりの色

朝日差す比良の山並み雪白し孤高と云ふは覚悟してこそ

修行僧念仏の声長く引く成満式の知恩院の朝

満堂の木魚の音の響く中祖師の御影は拭はれにけり

御影堂卒業以来の人に会ふ成満僧の母となりたり

喜びの四っつの鐘の音聞きて南無阿弥陀仏と十声唱へり